2012年3月27日火曜日

アメリカ政府によるグアテマラでの梅毒感染実験ーレバビー教授による要綱: 小野昌弘のブログ Masahiro Ono's Blog


前掲のグアテマラでの米政府による梅毒感染実験について、続報です。BBC記事に紹介されていたレバビー教授による論文を紹介します。レバビー教授らの研究がきっかけとなって、米大統領がグアテマラ大統領に謝罪する事態となったようです。本論文は長く、また掲載には許可がいるため、レバビー教授自身による要綱だけ翻訳しました。

題 「通常の感染源への接触」と梅毒接種実験:アメリカ公衆衛生局「タスキーギ」医師のグアテマラ時代1946−48
掲載雑誌 Journal of Policy History, Special Issue on Human Subjects, January 2010
以下要綱(本論文は、A4 29ページ)

著者 Susan M. Reverby
所属 Marion Butler McLean Professor in the History of Ideas and Professor of Women's and Gender Studies, Wellesley College, Wellesley MA

多分もっとも悪名高いアメリカでの研究は、「タスキーギ(Tuskegee)」梅毒研究でしょう。ここでは、アメリカ公衆衛生局(the U.S. Public Health Service, PHS)が、後期梅毒に罹患した数百人のアフリカ系アメリカ人の男性に対して、40年間にわたり治療をせずに、観察だけしました(1932−1972)。(注1) よく噂になっていますが、この研究では、医師はアラバマ州のメコン・カウンティにいたアフリカ系アメリカ人を梅毒に感染させたと言われています。この研究の歴史家たちは、私も含めて、長い時間をかけて、なぜこの噂が本当ではないといえるのか、そしてなぜこの神話が残っているのか、について長い年月をかけてきました。この問題についての説明としては不十分ですが、そもそも、梅毒をひきおこすスピロヘータ形をした最近は、実験室で培養し育てることや、注射器ですうことや、感染者からほかのひとへと血液で感染させることはできないのです。


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ところが、「タスキーギ」の神話の一部である接種の物語は、実は、タスキーギではないところで、本当に行われたことなのです。ジョン・カトラー( John C. Cutler)アメリカ公衆衛生局・医師は、1960年代のアラバマ州での例の梅毒研究に参加して、その研究が90年代に終わって以後20年にわたり研究の正当性を主張することになります。ところがそれ以前、1946−48に、カトラー医師は、アメリカ公衆衛生局・アメリカ国立衛生研究所(the National Institutes of Health)、パン・アメリカン健康組織(the Pan American Health Organization)・グラテマラ政府の支援により、グアテマラにおける梅毒接種プロジェクトを実行したのです。

当時はペニシリンが世に出てまもない時期であり、アメリカ公衆衛生局はペニシリンが治療だけではなく、梅毒初期感染の予防に効くのかどうか、また、よりよい血液検査を確立できるのかどうか、どれくらいのペニシリンの量で、梅毒を治療できるのか、そして治癒後の再感染がどのようにおこるのかを理解することに大変に興味をもっていました。このようにたくさんの科学的疑問が解決されるべき状態であったのです。

その疑問は、たとえば次のことに関してでした。コンドームの使用以外に、男性が梅毒に感染する可能性があった行為のあとに、ペニスに直接ぬることで予防できるような、よりよい化学的予防法が� ��るのか、ということ。またさらには、梅毒の診断がついたあとに、専門家がやるようにペニシリンだけに治療を頼ることで十分なのかどうか、ということでした(注2)。当時梅毒学者は、梅毒診断の血液検査の多くに問題があること、実験動物(主にウサギ、ときどきチンパンジーが用いられていました)では人間の反応が理解できないこと、梅毒が慢性化する性質は大変複雑であること、そして、数十年にわたって梅毒学者を魅惑してきた梅毒スピロヘータのずる賢さについて、大変よく知っていました。


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1944年当時、アメリカ公衆衛生局は、アメリカ合衆国内のテーレ・ホテ( Terre Haute) 連邦刑務所において淋病の予防に関する実験を行っており、「ボランティア」たちに、淋菌([淋病の原因菌] これは培養できます)が注入されていました。ところが、アメリカ公衆衛生局は男性に感染を成立させるのが難しいことを知り、この研究は途中で挫折しました(注3)。アメリカ公衆衛生局は、この研究を続けるため、さらにこの研究を梅毒にまで拡大するため、アメリカの南端を越えた向こう側に目を向けていたのです。

カトラーら、担当医師たちは、グアテマラ国家刑務所にいる男性を、次には陸軍駐屯所にいる男性を、次には国立精神保健病院にいる男女を選び出し、計696人を実験対象にしました。当時は珍しくないやり方でしたが、実験の許可は政府当局から得ていただけで、個人ひとりひとりには許可を得ていませんでした。また施設使用のひきかえに、これらの施設に物品供給が行われました。 医師たちは、売春 婦を用いて囚人たちに病気を移しました。(グアテマラの刑務所では、法律で性的訪問が許されていたからなしえたことです)そして、この「通常の感染源への接触」がうまく病気を移せなかったときには、男性のペニスの上や、表面の皮膚をすこしこそいだ前腕や顔に梅毒菌を塗りこむことで直接接種を行いました。さらに数例では、脊髄腔の中に梅毒菌を注入しました。アラバマ州のケースとはちがって、患者は感染が成立し、病気になった後には、ペニシリンを投与されました。しかしながら、全員がきちんと治癒したかは不明であり、また、当時適切な治療法と考えられた治療を全員がきちんとうけていたわけではありませんでした。


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そうはいっても、アメリカ公衆衛生局は倫理的疑問が生じえる研究であったことを分かっていました。トマス・パラン(Thomas Parran)公衆衛生局長官ははっきりと、「ご存知の通り、私たちはこうした実験を国内では行えなかったのです」と言明しましたから(注4)。タスキーギの場合と同様、ごまかしで物事は動いていました。多くの事柄は、グアテマラ当局者の一部にさえ秘密にされ、情報は、一部の梅毒学者グループの中だけで共有されていました。ひとに感染させることが難しいことが分かり、アメリカ国内での他の仕事が優先事項として上にあがってくると、カトラーはアメリカ合衆国に荷物をたたんで、引き返して来るように命じられました。

その後、カトラーは、シドニー・オランスキー(Sidney Olansky,アラバマ州での梅毒研究に参加していた)を含むアメリカ公衆衛生局の医師らとともに働くことになりました。彼らは、ニューヨーク、オッシニン(Ossining)の悪名高いシン・シン(Sing Sing)刑務所において、囚人たちに説明したうえで、「ボランティア」に接種(ペニスにではなく腕に)を行いました。ここではアラバマ州での研究と同様、梅毒における免疫学的反応についての研究であり、ペニシリンの使用が急速に広まる事態に直面して、最新の科学的知見を提供することに焦点が当てられていました。

本論文では、タスキーギでの噂とグアテマラで本当に起こった事を比較しています。本論文では、なぜ、タスキーギとは異なって、グアテマラの男女は感染させられ治療させられたのか(いつも治療がうまくいっていた訳ではなかったですが)、について説明しています。


グアテマラにおけるこれらの研究は、発展途上国における研究と、アメリカ国内での研究のあいだの関係と、そのあいだを行き来する情報の流れについて明示しています。本論文は、アメリカ公衆衛生局がアラバマの男性には病気を(意図的に)感染させてはいなかったことを明確に示しています。そして、本論文で、科学の事業計画というものは、たとえ意図がよいものであり、「最高のひと」が実施するとしても、必ず監視の目が必要なものであるということが分かるでしょう。

注・参考文献
1 Susan M. Reverby, Examining Tuskegee: The Infamous Syphilis Study and its Legacy (Chapel Hill: University of North Carolina Press, 2009); Susan M. Reverby, ed. Tuskegee's Truths: Rethinking the Tuskegee Syphilis Study (Chapel Hill: University of North Carolina Press, 2000).

2 John C. Cutler, "Current Concepts of Prophylaxis," Bulletin of the New York Academy of Medicine 52 (October 1976): 866-896.
カトラーとPHSが行った予防について逆の立場からの文献については、 Joseph Earle Moore, The Modern Treatment of Syphilis (Springfield: Charles C. Thomas, 2nd edition, 1943), pp. 564-567を参照

PHSの医師とMooreのあいだの緊張関係については、John F. Mahoney to John C. Cutler, April 19, 1948, Box 1, Folder 13, John C. Cutler
Papers, University Archives, University of Pittsburgh, Pittsburgh, PA, 参照(以後Cutler Papers)

3 接種は、培養された菌から行われたときと、感染している男性のペニスから採取して、そのまま別の男性のペニスに接種されたときの両方があった。John F. Mahoney et. al.,"Experimental Gonococcic Urethritis in Human Volunteers," American Journal of Syphilis, Gonorrhea and Venereal Diseases 30 ( January1946): 1-39.参照。テーレホテ研究についての政治学的議論の詳細については、Harry M. Marks, The Progress of Experiment (New York: Cambridge University Press, 1997), pp. 100-105. On a revived interest in prison research see Institute of Medicine, Ethical Considerations
for Research Involving Prisoners (Washington, D.C.: Institute of Medicine, 2006); を参照。Barron H. Lerner, "Subjects or Objects? Prisoners and Human Experimentation," New England Journal of Medicine 356 (May 3, 2007): 1806-07.

4 G. Robert Coatney to Cutler, February 17, 1947, Box 1, Folder 17, Cutler Papers.



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